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横浜地方裁判所 昭和39年(ワ)2号 判決 1965年8月13日

原告

飯田信

右代理人

山内忠吉

被告

マルホ産業株式会社

右代表者

石山博明

右代理人

加藤弘文

主文

被告は原告に対し金一、二九〇、四七〇円およびこれに対する昭和三九年一月二〇日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金一、五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年一月二〇日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならび仮執行の宣言を求め、その請求原因として

一、原告は明治四二年一月一三日生れの男子で太陽生命保険相互会社横須賀支社の集金員の職にある者であり、被告は建築材料等の販売を業とする会社である。

二、原告は昭和三七年一〇月二八日午前九時五〇分頃集金用務のため自転車に乗り鎌倉市深沢常盤県道を鎌倉方面から藤沢方面に向つて進行中、右県道を後方から進行して来た訴外渋谷金次郎の運転する自動三輪車(登録番号神六ぬ七三〇四号以下加害車という)に追突され、路上に強く頭を打ちつけて転倒し意識不明となり直ちに藤沢市の遊行外科医院に運ばれたが、その後一一日間意識不明の状態が続いた。

三、原告は右事故(以下本件事故という。)により右側頭部割創兼頭蓋骨骨折頭蓋底骨折の傷害を受け本件事故当日である昭和三七年一〇月二八日から同年一一月二三日まで同病院に入院以後自宅療養を続けた。

退院後間もなく耳鳴りがはげしいので同年一二月一一日横須賀市の医師江沢義彦の診察を受けたところ、右側内耳性難聴および耳鳴り右側耳管狭窄症と診断され、以後昭和三八年七月二六日まで同医師の治療を受け、耳管通気法等の手当を受けたが耳鳴りの症状は固定し、全治不能と診断された。

また両眼の視力が極度に衰えたので昭和三七年一二月一八日横須賀共済病院眼科の医師の診察を受けたところ、上斜筋麻痺と診断され以後昭和三八年五月末日まで治療を受けたが完治せず上斜筋麻痺は残存し複視は将来も残ると診断された。

そのほか頭痛がはげしく耐えられないほどであつたので昭和三七年一二月一九日横須賀共済病院整形外科の医師の診察を受けたところ、頭蓋骨骨折後遺症と診断され以後通院治療を受けたが好転せず、昭和三八年七月八日から同年九月一八日まで同病院に入院して治療を受けるも頭痛はとまらず、頭蓋骨骨折の症状は固定し全治は不能と診断された。

四、原告は本件事故を原因とする右各障害のため一生涯以前のように生命保険集金員としての仕事に従事することはもとより他に適当な職について働くこともできない全くの廃人となつた。

五、被告は加害車を所有し自己のためこれを運行の用に供するものであつて、訴外渋谷は被告に雇われ加害車の運転に従事している者であるが、本件事故は訴外渋谷が被告の事業のため加害車を運転中惹起させたものであるから、被告は自動車損害賠償保障法第三条の規定に基き本件事故によつて生じた原告の身体傷害による損害を賠償する義務がある。

六、原告が本件事故によつて受けた損害は次のとおりである。

1、得べかりし利益の喪失による損害

原告は太陽生命保険相互会社横須賀支社から集金員報酬として昭和三七年五月一七日以降本件事故当日である同年一〇月二八日までの間に合計金一〇八、一六九円の収入を得ていたので、その一ケ月平均収入は金二〇、四〇〇円となる。

同支社勤務の集金員の一ケ月平均収入は金三二、〇〇〇円であり、集金員中には一ケ月平均金四五、〇〇〇円の収入を得ている者もあり、また集金員には年令の制限はないところ、原告は受傷当時満五三才の男子で健康体であり、厚生省発表の第九回生命表に照らせば満五三才の男子の平均余命は一九・〇二年であるから、原告はなお平均余命の間生存し少くとも六五才に達するまで集金員として勤務し、その間少くとも一ケ月金二〇、〇〇〇円相当の収入を得ることが可能であつた。

(一)  そのうち受傷の翌日である昭和三七年一〇月二九日以降昭和三八年一二月二八日までの一四ケ月間の損失額は金二八〇、〇〇〇円である。

ところで原告は昭和三七年一二月被告から休業補償金の内入れとして金二〇、〇〇〇円の支払を受けたほか、昭和三八年八月頃自動車損害賠償責任保険金として金五七、五三〇円を大成火災海上保険株式会社から受領したので、これらの合計額を前記損害金二八〇、〇〇〇円から控除するとその残額は金二〇二、四七〇円となる。

(二)  昭和三九年一月一日以降昭和四八年一二月末日までの一〇ケ年間の一ケ月金二〇、〇〇〇円の割合による得べかりし利益の喪失は金二、四〇〇、〇〇〇円であり、これをホフマン式計算方法によつて年五分の割合による中間利息を控除し現在価格に換算すると金一、五九〇、〇〇〇円(金一、〇〇〇円以下は切捨)となる。

2、慰藉料

本件事故により原告が受けた苦痛ならびに今後なお耐え忍ばなければならない耳鳴り、頭痛、複視等による苦しみを考えると、原告に対する慰藉料は金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

七、よつて原告は被告に対し得べかりし利益の喪失額(一)の金二〇二、四七〇円のうち金二〇〇、〇〇〇円と同(二)の金一、五九〇、〇〇〇円のうち金一、〇〇〇、〇〇〇円ならびに慰藉料金三〇〇、〇〇〇円の合計金一、五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三九年一月二〇日以降支払ずみに至るまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と陳述し、

抗弁事実に対する答弁として、

一、抗弁一(免責的要件事実の主張)の事実は否認する。すなわち本件事故現場は丁字路の地点より約一〇米藤沢方向寄りのところであり、原告は道路左側を自転車に乗つて藤沢方面に向つて走行中訴外渋谷の制限速度を超える無謀操縦により追突転倒せしめられたのであつて、原告が右折しようとした事実はない。訴外渋谷は本件事故について藤沢簡易裁判所において業務上過失傷害罪により罰金七、〇〇〇円の略式命令を受けている。

二、抗弁二(1)(示談契約成立の主張)の事実は否認する。すなわち、昭和三七年一二月二九日原告の妻訴外飯田キミは被告会社を訪れ本件事故により原告の生活が極度に困つているのでとりあえず金二〇、〇〇〇円ほど出してくれるよう頼んだところ、被告会社代表者石山博明は訴外渋谷外一名を伴い訴外飯田キミと横須賀市根岸町の訴外飯田キミの姉訴外竹永ハル方に赴き原告に対し同所に来るよう電話連絡したが、当時原告は自宅療養中であつて一日二〇時間も眠り続けるという状態で意識は混濁し是非弁別の能力を有せず、原告が訴外竹永方に行つた際被告代表者より金二〇、〇〇〇円を渡すから受取書に署名してくれと言われ原告は差出された書面二通を受取書と思つてその内容も確めずに署名した記憶があり、その後そのとき署名した文書のうち一通が示談書であることを知つたもので、原告としては示談書であることを知つて署名したものではない。

抗弁二(2)(示談契約に基く損害賠償の査定および支払の主張)の事実中示談契約に基く損害賠償額の査定があつたことは認めるが、時期については不知、その余は否認する。原告が被告から支払を受けたのは金二〇、〇〇〇円である。

と述べ、

再抗弁として、

一、示談書(乙第一号証)に原告が署名した事実は認めるが、その際原告はその行為の結果を認識するに充分な精神的能力すなわち意思能力を有しなかつたのであるから、被告主張の示談契約は意思能力のない者の法律行為として無効である。

二、たとえ原告が意思能力を有していたとしても、右示談は原告の受傷の程度は軽微であると当事者双方が誤信し後遺症のおそれがないことを前提としてなされたものである。しかるに事実はこれに反し原告は請求原因第三項記載の後遺症により再起不能の身となつたので右示談契約は要素に錯誤があり無効である。

と陳述し、

証拠<省略>

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、

請求原因に対する答弁として

一、請求原因第一項記載の事実中被告会社の目的は認めるが、その余は不知。

二、同第二項記載の事実中原告主張の日時に訴外渋谷が運転する加害車が原告の乗つていた自転車と接触し原告が転倒した事実は認めるが、その余は争う。

三、同第三項記載の事実は不知。

四、同第四項記載の事実は否認する。

五、同第五項記載の事実中訴外渋谷の運転していた加害車が被告所有にして被告において自己のためこれを運行の用に供するものである事実は認めるが、その余は争う。

六、同第六項記載の事実中厚生省発表による第九回生命表による男子五三才の平均余命が一九・〇二年である事実は認めるが、その余は争う。

七、第七項記載の事実は理由がない。

と述べ、

抗弁として、

一、(免責的要件事実の主張)

1、本件現場は丁字路であるところ、本件事故は原告が何らの合図もなく(あるいは直前で合図して)急に右折しようとした過失と、自転車は自動三輪車に比して通行順位が下であり右折しようとするときは予め相当の手前で右折の合図をするとともに左側により徐行し優先順位の車両の通過をまち、かつ右折遠廻りの原則により右折すべきであるのにかかわらず(道路交通法第三四条第三項第四項第一二一条第一項第五号)これを怠り右折を開始した過失に帰因して発生したものである。

2、訴外渋谷は制限速度以下で前方注視義務を尽し加害車を運転進行中原告の違法な右折を発見し衝突を避けるため自己の危険をかえりみず直ちにハンドルを右に切り急ブレーキをかけたが、原告の右折が突然行われたためこれを避けきれず原告の自転車に衝突し訴外渋谷運転の加害車も横転したもので、訴外渋谷に臨機の措置としてこれ以上を望むのは無理で、訴外渋谷にとつては衝突を避ける時間的余裕は全くなく、衝突は不可抗力によるものであるから訴外渋谷には何らの過失はない。

なお自動三輪車は自転車より優先順位であり左側に自転車が進行してこれに追付いても警音器を吹鳴する義務はない。かえつて道路交通法第五四条第二項によつて警音器を鳴らしてはならないとされ危険を防止するためやむを得ないときは例外とされているが、左側に自転車が先行するだけで常に危険とすることはできないから訴外渋谷に警音器吹鳴義務はなかつたものである。

もつとも、訴外渋谷は本件事故につき藤沢簡易裁判所において業務上過失傷害罪により罰金七、〇〇〇円の略式命令を受けているが、これは訴外渋谷としては処罰を受けるいわれはないと考えていたが僅かの罰金刑なので争わなかつたに止るものであり訴外渋谷の過失を立証するものではない。

二、(示談契約成立ならびにこれに基く損害賠償額の査定および支払の主張)

1、かりに被告に本件事故による損害賠償義務があるとしても、原告と訴外渋谷との間に昭和三七年一二月二九日本件事故の損害賠償につき自動車損害賠償責任保険横浜協同査定事務所の査定委員による裁定額をもつて賠償することにより解決し双方とも一切の異議を申立てない旨の示談が成立したが、右示談には被告代表者石山博明立会の上なされ、かつ保険契約者は被告であつたのであるから、右示談は原告と被告との間でも成立したものである。

2、右示談に基き昭和三八年一〇月頃損害賠償額は金二七〇、〇一〇円と査定され、右により原告は自動車損害賠償責任保険から金一〇〇、〇〇〇円の支払を受けることになつたが、これよりさき被告は原告に対し金四二、四七〇円を支払つていたので、原告被告了解の上保険金一〇〇、〇〇〇円が支払われるに際し原告は金五七、五三〇円を受取り被告は四二、四七〇円を受取つたのである。

三、(過失相殺の主張)

かりに訴外渋谷に何らかの過失ありとしてもこれと原告の重大な過失とは比すべくもないので予備的に過失相殺を主張する。

と陳述し、

再抗弁事実に対する答弁として、

一、再抗弁一(意思無能力の主張)の事実は否認する。

二、再抗弁二(要素の錯誤の主張)の事実は否認する。

と述べ、

証拠<省略>

理由

一、被告が建築材料等の販売を目的とする会社であることは当事者間に争いなく、<証拠>によれば原告は明治四二年一月一三日生れの男子であり、昭和三七年五月より太陽生命保険相互会社横須賀支社集金員の職にあることが明らかである。

二、昭和三七年一〇月二八日午前九時五〇分頃訴外渋谷運転の加害車が原告の乗つていた自転車と接触し原告が転倒した事実は当事者間に争いなく、<証拠>を総合すると、原告は当時集金用務のため自転車に乗り鎌倉市深沢常盤県道を鎌倉方面から藤沢方面に向つて進行中、後方から進行して来た訴外渋谷の運転する加害車に追突され路上を頭を打ちつけて転倒し右側頭部割創兼頭蓋骨骨折、頭蓋底骨折の傷害を受けて意識不明となり直ちに藤沢市遊行外科医院に運ばれたが、その後数日間意識不明の状態が続き、昭和三七年一〇月二八日から同年一一月二三日まで同病院に入院以後自宅療養を続けたが、同年一二月一一日横須賀市の医師江沢義彦の診察を受けたところ右側内耳性難聴および耳鳴り右側耳管狭窄症と診断され以後昭和三八年七月二六日まで同医師の治療を受け耳管通気法等の手当てを受けたが昭和三八年一一月頃には耳鳴りの症状は固定し、その障害の程度は労働者災害補償保険法施行規則に定める障害等級表の第一一級に該当し、また昭和三七年一二月一八日横須賀共済病院眼科の医師の診察を受けたところ、上斜筋麻痺と診断され以後昭和三八年五月末日まで治療を受けたが完治せず昭和三八年一一月には上斜筋麻痺は残存し複視は将来も残り、その障害の程度は前記障害等級表の第一二級に該当すると診断され、更に昭和三七年一二月一九日横須賀共済病院整形外科の医師の診察を受けたところ頭蓋骨骨折後遺症と診断され以後通院治療を受けたが好転せず昭和三八年七月八日から同年九月一八日まで同病院に入院して治療を受けたが、頭痛はなおらず昭和三八年一一月にはその症状は固定し、その障害の程度は前記障害等級表の第一二級に該当すること、以上のような経過で原告は太陽生命保険相互会社横須賀支社集金員の地位を保持しているも、本件事故以来集金の業務に従事することができず、今後も右の業務に従事することは困難で現在自宅で留守番をしていることが認められ、右認定に反する証拠はない。しかして原告は現在五六才の高年者であり、一般に中、高年者の就職が困難であるという現在の社会経済状勢を考慮すると、原告が他に適当な職を見付けることは容易でなく、結局前記のような身体障害者である原告は本件事故により就労の機会と能力を奪われたものと認めるを相当とする。

三、次に被告が加害車を所有し自己のためこれを運行の用に供しているものであることは当事者間に争いなく、訴外渋谷が被告に雇われている者であることは<証拠>により明らかであるので、被告は自動車損害賠償保障法第三条の規定にいわゆる自己のため加害車を運行の用に供する者というべきであるから、同条但書に規定される免責的要件事実を主張立証しないかぎり、同条本文の規定によつて本件事故により生じた原告の身体傷害による損害を賠償すべき義務があるということになる。

四、そこで被告の抗弁(免責的要件事実の主張)について判断する。<証拠>を総合すると、本件事故現場は鎌倉方面から藤沢方面に通ずる幅員約七・五米の道路上であつて現場附近はアスフアルトで舗装された丁字交さ点であること、訴外渋谷は本件事故当日の午前九時五〇分頃加害車を運転して鎌倉方面から藤沢方面に向け時速約三五粁の速度で進行中、前方約一〇〇米の道路左側を自転車に乗り加害車と同一方向に進行する自転車に乗つた原告を認め、その右側を順次接近して進行し右の現場である鎌倉市常盤三一〇番地先の丁字交さ点附近にさしかかつた際、原告が加害車の進路上になんの合図もしないで突如右折を開始したのをその手前約七・七米の位置で認めたので危険を感じあわてて急停車転把の措置をとり追突を避けようとしたがおよばず、同所附近で加害車左部を原告の自転車後部に接触させ、原告はそのため附近路上に転倒したものであることが認められる。この認定に反する<証拠>は前示各証拠に照して措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

およそ右のような場合においては、自動車運転者としては、同所は丁字交さ点になつているのであるから原告の自転車がいつその進路をかえ交さ点に進入して来るか計りがたく、かくてはいきおい原告の自転車と接触し事故が発生する危険が高い状況にあつたといえるのであるから、右危険を考慮し警笛を鳴らして警告を与え、適時適宜の処置を施し得るような速度に減速し右交さ点を進行しもつて事故を未然に防止すべき義務があるところ、訴外渋谷はこれを怠り、警笛も鳴らさず減速もしないで漫然原告の自転車は直進するものと即断し、前示速度のまま進行したため前示のような接触事故を起したのであるから本件事故は訴外渋谷に過失があつたことは明らかであるといわなければならない。

一方原告においても丁字交さ点において右折しようとしたのであるから、かかる場合原告としては、予め右折の合図をするとともに道路左側に寄り徐行し優先順位の車両の通過を待ち、かつ右折遠廻りの方法により右折すべき注意義務があるというべきところ、原告は右注意義務を怠り漫然と右折し丁字交さ点内に進入しようとしたため加害車に接触されたもので、本件事故の発生につき原告にも過失があつたものというべきである。しかしながら原告に右過失があつたからといつて訴外渋谷に過失があつたことを否定し得ないことはもちろんであつて、それは過失相殺の一事由に過ぎず、このことから直ちに本件事故が原告のみの過失によつて惹起されたものと認めることはできないのである。

ところで、被告は右以外について自動車損害賠償保障法第三条但書に規定される免責事由を主張立証しないのであるが、本件事故が加害車の運転者たる訴外渋谷の過失によつて惹起されたものである以上爾余の点について判断するまでもなく、被告は原告に対し自動車損害賠償保障法第三条本文民法第七二二条第二項に基き本件事故により原告の蒙つた損害について原告の過失を斟酌して算定された額を賠償すべき義務がするものというべきである。

進んで被告の示談契約成立の仮定抗弁について判断する。<証拠>を総合すれば、原告は昭和三七年一二月二九日妻である訴外飯田キミに対し暮も迫つて金に窮していたところから被告代表者を訪れ金二〇、〇〇〇円ほど受取つて来るよう申しつけて差向け、訴外飯田キミは、同日昼頃被告方を訪れ被告会社代表者石山博明と会い金員の支払を要求し、ここに訴外飯田キミ、同渋谷、被告会社代表者石山博明間に本件を円満に解決しようとの話合いがされた結果、訴外飯田キミの姉訴外竹永ハル方においてさらに話合いをすることになり、被告会社代表者石山博明において示談書(乙第一号証)の署名押印欄が空欄のものを作成し、訴外飯田キミにおいて訴外竹永ハルに対し電話で同人らが同訴外人方を訪れることを告げ、なお原告にも同訴外人方を来訪すべき旨の連絡方を依頼した上、被告会社代表者石山博明は右示談書を携え、訴外飯田キミ、同渋谷とともに訴外竹永方を訪れ、同訴外人方で原告、訴外竹永と相会して話し合い、示談書の内容について原告から一、二点質疑がなされ、訴外飯田キミ、同竹永が原告を説得した末、さきに被告会社代表者石山博明において作成した示談書の内容どおり、本件事故による損害賠償については被告が保険契約者となつておる自動車損害賠償責任保険の横浜共同査定事務所の査定委員による査定額をもつて賠償することの取決めがなされるとともに、今後本件事故について異議の申立訴訟の提起等をしない旨合意され、原告においてこれを承諾の上右示談書に署名押印したほか、訴外渋谷、同竹永、被告会社代表者石山博明もそれぞれ署名押印した後、即時同所において被告会社代表者石山博明から原告に対し休業補償費として金二〇、〇〇〇円が交付された事実が認められる。<証拠>中右認定に反する供述部分は措信することができず、他に右認定の妨げとなる証拠はない。

前認定の事実によれば昭和三七年一二月二九日原告、被告および訴外渋谷との間に被告主張どおりの示談契約が成立したものと認めることができる。

原告は、被告主張の示談契約は当時原告が意思能力を有しなかつたため無効であると主張するが、これに符合する原告本人尋問の結果は、被告代表者石山博明本人尋問の結果と対照したやすく措信し難く、<証拠>によつてはまだ原告主張事実を証するに足りず、他にこれを認むべき証拠はない。しかし前示二の認定事実と<証拠>を総合すると、原告は前示示談契約が締結された昭和三七年一二月当時自宅療養を続けており、耳鳴り、頭痛、視力の異常などの症状があり、横須賀共済病院の専門医の治療を受けていたが、右の症状が本件事故による傷害の後遺症として固定するものとは考えず、五、六ケ月も加療を続ければ完全に治癒するものと考えていたこと、また被告としても原告の右症状は自宅療養で早晩治癒するものと思つていたことが認められ、右認定の妨げとなる証拠はないので、原、被告双方は原告の右症状は今後の加療により治癒消失するものと誤信し後遺症のおそれのないことを当然の前提として予定し、損害賠償額についての争いを解決するため互いに譲歩して前示示談契約を締結したものと認めるを相当とすべく、しかるに前記のとおり、原告の右症状は固定して後遺症となり就労能力を喪失したのであるから、前示示談契約は要素の錯誤により無効であるというべきである。

五、そこで損害額について検討するに、(一)<証拠>によれば原告は太陽生命保険相互会社横須賀支社の集金員として昭和三七年五月一八日より同年一〇月二八日迄の五ケ月と一〇日の間に合計金一〇八、一六九円の集金員報酬を得ていたことが認められるから、本件事故直前一ケ月平均二〇、四〇〇円の収入があつたことになる。しかして被告は冒頭認定の如く明治四二年一月一三日生れであるので、本件事故当時満五三才九月であり、満五三才の日本男子の平均余命は厚生省発表第九回生命表によれば一九年余であることは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によると原告の勤め先太陽生命保険相互会社横須賀支社では集金員の停年制はなく四〇才から七〇才までの年令層の者が集金員として働いていることが認められるので、原告は本件事故後少くとも満六五才に達する一一年余は集金員として同保険会社に勤務しその間最低一ケ月金二〇、〇〇〇円の収入を得ることができるのにかかわらず、本件事故の翌日である昭和三七年一〇月二九日より昭和三八年一二月二八日までの一四ケ月間は療養による休業のため一ケ月金二〇、〇〇〇円の割合による合計金二八〇、〇〇〇円の得べかりし収入を失い、昭和三八年一二月末現在において同額の損害を被り、更に昭和三九年一月より満六五才に達する月の前月である昭和四八年一二月までの一〇年間は前記就労の機会と能力の喪失により一ケ月金二〇、〇〇〇円の割合による合計金二、四〇〇、〇〇〇円の得べかりし利益の喪失による損害を被ることとなるが、一年の利益二四〇、〇〇〇円を基本として一年毎にホフマン式計算法(複式)による年五分の中間利息を控除して一〇年間の総利益を昭和三九年一月一日現在の金額に換算すると、240,000×7.94494948=1.906.787円8752となり、すなわち金一、九〇六、七八七円が昭和三九年一月一日現在において一時に請求し得る金額となる。ところで本件事故の発生については原告にも過失があることは前認定のとおりで、前認定の事実に徴すれば双方の過失の割合は被告六割、原告四割と認めるを相当とするので、被告の賠償すべき損害額のうち療養のための休業による分は金二八〇、〇〇〇円より四割を控除した金一六八、〇〇〇円となり、前記就労の機会と能力の喪失による分は金一、九〇六、七八七円から四割を控除した金一、一四四、〇七二円となる。しかし後者の分については原告は内金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求めているから、当裁利所は被告に金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を命ずることができるに過ぎない。(二)次に原告が本件事故により前記認定の傷害を被り、しかも前記認定の後遺症の存在するため現在は勿論今後一生涯を通じ著しい精神的苦痛を被るであろうことは当然であるので、原告の前記過失その他本件に現われた諸般の事情を斟酌し原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金二〇〇、〇〇〇円を以て相当と認める。しかして原告が昭和三七年一二月二八日休業補償費として被告より金二〇、〇〇〇円の支払を受けたことは既に認定したところで、更に<証拠>によれば昭和三八年八月頃本件事故による損害賠償額は金二七〇、〇一〇円と査定され、内金一〇〇、〇〇〇円については被告が既に原告のため立替支弁した入院療養費金四二、四七〇円を控除して残額金五七、五三〇円を被告の協力を得て受領した事実が認められるので、右金五七、五三〇円は療養のための休業による損害金に充当すべく、結局右損害金の未払額は金一六八、〇〇〇円より金二〇、〇〇〇円と金五七、五三〇円の二口を控除した金九〇、四七〇円となる。

六、そうすると被告は原告に対し療養のための休業による損害金九〇、四七〇円、就労の機会及び能力の喪失による損害金一、〇〇〇、〇〇〇円、慰藉料金二〇〇、〇〇〇円合計金一、二九〇、四七〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三九年一月二〇日以降右完済に至る迄民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきであるから、原告の本訴請求は以上認定の限度において正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。(久利馨)

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